ベリーベリーロマンス

 焦げ跡の残る片手鍋の中で、ブクブクと浮かんでは消えてを次々と繰り返す真っ赤な泡と、その素となった甘酸っぱい果肉たち。

 仄かに甘い香りを漂わせるそれを、不安になりながら覗き込む。

「ねーグリムー、本当にコレで合ってるのかなぁ……グリム?」

 問いかけたはずの相手の声は返ってこない。その代わりとばかりに、振り向いた視界の端からはここにいるはずのない人物の顔が、ぬっと現れた。

「何作ってんだ?」
「ぅわぁ!!?」
「ッうるせぇ……」

 私の背後から顔を出してきたのは、レオナ先輩だった。

 思わず叫んでしまったのがだいぶやかましかったのか、先輩が顔を顰めながらぺたりと耳を伏せている。

「せせせ先輩!? どうしてここにっっ、というかいつの間にモガ!」

 バクバクと鳴り響く心臓を押さえ、叫ぶように尋ねれば我慢できなかったのか、とうとう大きな手で口を塞がれる。

 ……レオナ先輩は私を黙らせるとき、物理的な手段を用いすぎではなかろうか。

 この前なんて、エースたちもいるときに私の足元から突然姿を現したウミウシのような姿形をした謎の生物――後から聞いたところ、アレも妖精の一種らしい――に驚き叫びかけた私を、ちょうど真横にいた先輩はなんとキスで強制的に黙らせてきたのだ。

 今でも、私はあの場でキスまでする必要性があったのかはわからずにいる。

 二重の驚きで動けなくなった私を咄嗟に抱え上げて避難させてくれたことについては、感謝している。しかし人前でキスしてきたことに対してしばらく拗ねていたら、数日後には私宛に甘いお菓子が大量に送られてきた。

 ずいぶんと愛らしい機嫌の取り方に、申し訳ないけれどちょっぴり笑ってしまった。私にくれるためだけに、わざわざ有名店からギフトボックスを吟味して、取り寄せたらしいのだ。

「何か余計なこと考えてるな」
「もがもがが?」
「何言ってんだ」

 手で口を覆われたまま話すのは、かなり難しい。チラリと見上げて視線だけで訴えれば、気が付いたレオナ先輩が解放してくれる。

 そして、今度は私の背中へのしかかるように抱き着いてくる。

「バレました?」
「わかりやすいんだよ、お前の思い出し笑い」
「ふふ、考えてたのは先輩のことですよ」
「……フン」

 ちなみに、もらったお菓子はまさかの王家御用達のお店のものだったらしく、ありがたくグリムと一緒に堪能させてもらった。あのマドレーヌ、美味しかったなぁ……っと、いけないいけない。また思考が逸れてしまった。

「で? 何作ってんだ、それは」
「昨日トレイ先輩から苺をたくさんもらったんで、ジャムを作ってたんです。作り方も教わったんですけど本当にコレがジャムになるのか……」
「ジャム……? すげー泡だな。大丈夫なのか?」
「うーん……たぶん……?」

 グツグツと煮立つ鍋の中を覗き込みながら、焦げてしまわないようにときおりかき混ぜる。大量の苺に言われた通りの分量の砂糖をかけ、一晩置いてから火にかけたのだが、そろそろ三十分近く経つ。

 冷蔵庫から取り出した際、苺から出てきた水分でジュースのようになっていたそれを煮続けるだけでジャムになる……らしいのだが、まだまだジャムらしいとろみがつく気配は無い。

 この様子だと、完成まではかなり時間がかかるかもしれない。ジャム作りって、大変なんだなぁ。そういえば、グリムはどこへ行ったんだろう。

 首だけ動かして辺りをキョロキョロと見回していると、レオナ先輩が「あの狸なら『飽きた』とか言って談話室に行ったぞ」と教えてくれた。グリムめ……あんなにワクワクして横ではしゃいでたのに。

「そうだ、スコーンも少し分けてもらえたんですよ。ジャムができたら先輩も食べていきますか?」
「……スコーンもアイツの手作りか?」
「はい! トレイ先輩のスコーンはとっっっても美味しいんですよ!!」

 正確には、スコーン『も』だけど。

「お前が食わせてくれるんなら食う」
「えっ、スコーンは難易度が高いですよ」

 自分で食べるにも、ポロポロと溢してしまい綺麗に食べられないというのに。

 渋ってみせれば、反応が気に食わなかったのか首筋をかぷりと軽く噛まれる。

 ……いや、コレは反応云々は関係無いな。たぶん噛みたかっただけだ。

 その後も甘噛みを繰り返してくるレオナ先輩の頭をヘラを持っていない方の手で撫でながら、意識は相変わらずブクブクと泡立っている鍋の中へ。

 昨日トレイ先輩から作り方を教わった際に、何かわからないことがあれば教えてくれると言われていたことを思い出す。うーん、なんだか心配になってきたし、聞いてみようかな。

「レオナ先輩、すみません、ちょっと電話するので、離れてもらっても良いですか?」
「…………」
「あの、ちょっとだけ離れていただいて……」
「……このままかければ良いだろ」
「えぇー……わかりましたよ、もう」

 離れるどころか、ますます密着してきたレオナ先輩に少し呆れてしまいながらもポケットから端末を取り出す。電話帳から呼び出した番号にかけると、数回コール音が鳴ってからトレイ先輩が電話に出てくれた。

「あ、トレイ先輩こんにちは、昨日はありがとうございます! はい、昨日話してたジャム、今作ってるんですけど――」

 現在の鍋の中身の状態を伝え、それを聞いたトレイ先輩からの質問に答えていく。

「聞いてた目安の時間はもう経ってるんですけど……まだ水っぽいですね。わかりました、じゃあこのままもう少し煮てみます。え、でもそこまでは申し訳な――」

 トレイ先輩が「様子を見に行こうか」と申し出てくれたが、さすがにそこまで手を煩わせるのも悪いので断ろうとしたら手の中から端末が消えた。

「必要ねェよ」

 慌てて振り向けば、レオナ先輩が私の端末を耳に当て話している。

 端末を返してもらおうと腕を伸ばすが、レオナ先輩の頭上よりも高い位置まで掲げられてしまい届かない。すごい、あんなに耳から離しているのに、聞こえるんだ。

「俺が見てるから良い。このまま煮てりゃ良いんだろ。あぁ、わかった伝える……うるせぇ、笑うな。じゃあな」

 思わず感心していたら、レオナ先輩が電話を切ってしまった。

「ちょっ、先輩っ……もう!」

 ――『監督生と電話をしていると、突然レオナ・キングスカラーが割り込んでくる』

 これは私とレオナ先輩の仲を知る生徒たちの間ではかなり有名な話らしく、もうさほど驚かれなくなってしまった。そして相手によっては、後日顔を合わせた際に私が揶揄われる羽目になるのだ。

「あまり煮すぎると固くなるから、とろみがつき始めたら火から下ろせだとよ」
「えっ、あ、じゃあもうそろそろですかね」

 先ほどよりも水気の減った鍋の中身を、かき混ぜてみる。まだ少しサラサラしている気もするが、どの程度までなら煮ても大丈夫だろうか。

 うーん、と唸りながら悩んでいると、横から伸びてきたレオナ先輩の手がガスコンロのスイッチをカチリと止めてしまった。

「このくらいで良いだろ」
「…………信じますからね?」

 先輩が早くのんびりしたいがため……ではないと思いたい。何でもソツなくこなしてしまう、要領の良いレオナ先輩の判断だ。先輩がキッチンに立つ姿を見たことがないので料理の腕前はわからないが、ここは信じてみようじゃないか。

 湯気を立てる苺ジャムの粗熱が取れてから、用意しておいた空き瓶に流し込んでいく。おぉ、火を止めた直後よりも、とろみが増したようだ。

 ジャムを冷ましている間、スコーンを温めたり紅茶用のお湯を沸かしたりと動いている私の背中には、ずっとレオナ先輩が張り付いていた。正直動きづらかったのだが、何やらあまり機嫌がよろしくない様子なので、好きにさせておいた。

 レオナ先輩がくぁ、と退屈そうに欠伸を漏らす。

「先輩、用意できたら持っていきますんで、談話室で待ってますか?」
「良い。見てる」

 ついでにそれとなく動きづらい旨を伝えると、渋々といった様子でようやくレオナ先輩が離れていく。しかし返答通り、キッチンから出ていく気はないようだ。私の背後に立ち、私が移動するとレオナ先輩も一歩後ろについて移動する。

 …………これは、構ってほしいときの猫と同じ心境なのか、はたまたご飯を待っているときの方なのか。うぅん、いずれにしても、可愛いものは可愛い。

 くるりと体ごと振り向き、目線の先にある胸元にぎゅっと抱き着く。視界の端で、尻尾が揺れ始めた。この揺れ方は、どうやら機嫌も少し浮上したらしい。

 布越しに響く穏やかな心臓の音に耳を傾けながら、ぐりぐりと頭を押し付ける。大きくて温かい手のひらが、そっと頭に乗せられた。そのまま優しく撫でられ、心地好い感触に頬が弛んでしまう。

 しばらくお互いに無言でスキンシップを堪能していれば、私の頭を撫で続けてくれていた先輩が不意に口を開いた。

「最近、トレイの奴と一緒にいすぎじゃねーのか」

 むすりとしながら呟かれた先輩の言葉に、私はおや、と瞬く。

 レオナ先輩の言う通り、確かに最近はトレイ先輩と過ごす機会が多かったようにも思う。

 それというのも、実は最近、お菓子作りにハマっているのだ。お菓子を作る工程ももちろん楽しいし、何よりも手作りお菓子ならではの素朴な味わいに舌鼓を打つ時間が、日々の疲れを癒やしてくれるご褒美にもなっている。

 ただそれだけであればレオナ先輩も文句は言わないのだろうが、問題はお菓子を作るにあたって私がトレイ先輩からアレコレと教わっていることにある。

 何せ、私の料理の腕前は平々凡々。たまにしくじって謎の物体を生み出してしまうことも多い。お菓子作りだけ飛び抜けて上手い、などというミラクルが起こるわけもない。

 何を作るにも初めは失敗ばかりだが、回数を重ねた分だけ美味しく仕上げられるようになっていく。頑張った分だけ、成果が出る――それがまた、楽しいポイントでもあった。

 トレイ先輩は不器用な私にアドバイスをくれたり、ときに一緒に作ってくれたりと、いつも根気強く付き合ってくれていた。

 私がレオナ先輩とお付き合いしていることはトレイ先輩も知っているので、色々と気を遣ってくれる。私もあまり遅い時間まで二人きりにならないようにはしていた。

 しかしレオナ先輩からしてみれば、やはり気分の良いものではないだろう。それに私が熱中すればするほど、レオナ先輩と過ごす時間が減ってしまっている……のも否めない。やっぱり、もう少し頻度を減らそう。

 レオナ先輩は「妬いている」ことを伝えてはくるが、「止めろ」とは言わない。その優しさに、つい甘えてしまう。

 こちらを不満そうに見下ろしてくる先輩の目をじっと見つめ返せば、レオナ先輩の眉間の皺が徐々に深まっていく。背中に回された腕が、ぎゅうぎゅうと音が鳴りそうなほど私を抱き締めてきた。ちょっと苦しい。

「すみません、もう少し気を付けます」
「……菓子が食いたいなら買ってやる」
「うーん、お店のお菓子も美味しいんですけど、やっぱり少し違うと言いますか……もー、そんなに拗ねないでくださいよー」
「拗ねてねぇ」

 深く深く刻まれた眉間の皺と、むっつりと尖った唇。

 後ろ向きに伏せられた耳に、先ほどよりもさらに強くなった腕の力。

 どこからどう見ても、拗ねている。本人がいくら否定しようとも、まるで説得力が無い。

 あまり他人に本心を見せないレオナ先輩がこれほどまでに感情を顕にするのは、きっと私の前だけだ。

 ……こういうのも先輩なりの甘え方、なんだろうなぁ。

 感情をぶつけてくれる。思っていることを伝えようとしてくれる。それはつまり誰にも見せたくないような心の柔らかな部分を、私には隠さずに曝け出してくれているということで。

 もちろん、レオナ先輩は私に対して、全ての気持ちを教えてくれているわけではない。

 きっと私にとってマイナスになるような、私が知れば落ち込んでしまわずにいられないような感情――例えば、先輩が実家である夕焼けの草原の王宮へと赴き学園へ戻ってきたときに垣間見える、どことなく沈んでいるような、疲弊して、何かを諦めているような表情に繋がるもの、とか。

 そういった類の感情を、レオナ先輩は意図的に私から遠ざけていると思う。本音を言えば、それらもぜひ共有させてもらって半分……とはいかずとも、せめて三分の一、四分の一くらいは先輩の心を軽くすることができたなら嬉しい。

 しかし、先輩がそれらを私にも分けてくれるときが来るとすれば、きっともう少し私が大人になれてからなんだろうなぁ……とも思う。どうしたって私はレオナ先輩よりも年下で、人生の経験値は少ない。知らないことも、あまりに多すぎる。

 結構長く考え込んでしまっていたらしく、先輩の指が私の顎に添えられて、上向かせられる。そのままそっと口付けられて、胸の辺りがきゅうと締め付けられるような心地になった。

「んな難しい顔すんな。別に完全に止めろとは言わねーから、もう少し俺のことも構え」
「……はい」

 どうやら先輩には、私がお菓子作りを止めさせられると思って凹んでいるように見えたらしい。いけないいけない……余計な心配までかけてしまわないようにしなければ。

 そういえば、何か忘れているような。それに、さっきから何かシューシューと音が……………………あ。

「お湯!!!」

 紅茶を淹れるために沸かしてたんだった!

 慌てて火を止めに行こうとして――動けなかった。先輩が離してくれない。代わりに、先輩の取り出したマジカルペンが振られて、火が止められる。あ、危なかった……

「ありがとうございます……って、うぇ!?」

 何故か、レオナ先輩に抱え上げられた。

 そのまま先輩は魔法でお皿やティーセットなどの一式を用意すると、紅茶を淹れ始めたりスコーンを盛り付けたりと、手際良く何もかもを終わらせてしまった。

 私はあんぐりと口を開けたまま、ポットやら何やらが宙に浮いて勝手に――実際にはレオナ先輩が全て操作しているのだが――動き回る様子を見ていることしかできなかった。すごく……ファンタジー感溢れる光景だった。

 真っ白なお皿の上には香ばしい匂いのスコーンが並べられ、三つ分のティーカップの中には綺麗な黄金色の紅茶が注がれている。あとは、スコーンの横にジャムを添えれば完成である。

「仕上げはやりたいだろ」
「! はい!」

 なんと、一番楽しい工程は残しておいてくれたらしい。

 ジャムを置いてあるテーブルの側で降ろされた私は、いそいそとスプーンを手に取った。赤く艶めく液体を果肉ごとたっぷりと掬い、スコーンの端にかかるように垂らしていく。

 うん、美味しそう。これは文句無しの成功だ。ジャムを作っていた際、火を止めるタイミングに迷った私の代わりに判断を下してくれたレオナ先輩は正しかった。さすがである。

 トレイ先輩にも出来栄えを報告するため、写真もしっかり撮っておいた。

「あ、そうだ。レオナ先輩!」

 一式を乗せたトレーを手に歩き出した背中を呼び止め、振り向いた先輩の口に新しくジャムを乗せたスプーンを突っ込む。

 切れ長の綺麗な瞳を零れそうなほど大きく見開いた先輩が、ガチリと固まった。そのまま数秒ほど、沈黙が流れる。

 しまった、ちょっと勢い付けすぎたかな。感触的に、歯には当たっていないとは思うんだけど……

「えっと……先輩と私が初めて一緒に作った記念に、一番先に味見をしてほしくて……?」
「……………………俺は火を止めただけだぞ」
「でも、私だけじゃあのまま煮過ぎちゃってたと思うので。先輩の協力あってこその成功ですよ!」

 笑いながら答えれば、先輩は呆れ顔でため息を吐いた。

「その理屈なら、お前も味見しないと駄目だろ」

 ボソリと呟いた後、器用にトレーを片手に持ち替えた先輩の空いた方の手が私の腕を掴み、引き寄せる。前へと傾いた体が倒れることはなく、しっかりと先輩の手に支えられて、次に顎も掴まれて、それから。

 キスをされた。

「………………………………」

 しかも長いし、あ、待って、この人、私の口、開かせようとして――

「っっっストーーーップ!!」
「チッ」
「ここここではっ、これ以上は駄目です!!」
「どこなら良いって?」
「あっ……え、えっと、わ、私の……部屋、なら……じゃなくて!」
「ハイハイ。向こうで狸が騒ぎ始めたから、さっさと行くぞ」
「もう!」

 肩を震わせながら前を行くレオナ先輩を追いかける私の顔は、きっと左手に持った苺ジャムのように赤くなっていることだろう。

 その後、先輩が言った通り待ちくたびれて騒いでいたグリムと合流して一緒に食べたスコーンも、紅茶も、とても美味しかった。

 だけど苺ジャムを口に含むたび、先ほどのレオナ先輩とのやり取りを思い出しては身悶え、私はグリムに白い目を向けられながら、そしてニヤニヤと揶揄うような笑みを浮かべるレオナ先輩から見られながら、甘酸っぱいティータイムを過ごすことになったのである。