明日の恋を咲かせて

Chapter.1

明日の恋を咲かせてⅠ

1-3

 青々しい芝生の上で、毛艶の良い尾の先がゆらりゆらりと揺れている。しなやかな曲線を描き緩やかに動くそれを目で追いかけながら、はこてりと首を傾げた。

「ねぇ、レオナさん」
「あー?」

 の声に、寝転んだままのレオナが気だるそうに応える。短い昼寝を終えた後、今日は比較的すんなりと起きてくれた。しかしまだだるさは抜けないらしく、頭はの膝の上に乗せられたままだ。

 柔らかなチョコレートブラウンの髪を撫でながら、が口を開く。

「私、ずっと聞こうと思ってたんだけどね」
「……思わせぶりな言い方するじゃねーか」
「あ、ううん、そんなに大した話じゃないの」
「何だよ、さっさと言え」

 身を起こしたレオナが、何故かの方へと顔を寄せてくる。

「え、何で迫ってくるの……」
「なんとなく」

 レオナは会話をするだけならば全くもって必要ない距離で、の言葉の続きを待っている。実に話しにくいことこの上ない。はレオナにばれないよう、こっそりと距離を取ろうとした。しかしの思惑を見越してか、伸びてきたレオナの手がの二の腕を掴んでしまう。レオナの目が、獲物を見定める獅子のようにスゥ、と細められる。

「後ろめたいことか?」
「違う、けど……な、何だか恥ずかしいから、少し離れない……?」
「……お前、最近また俺のこと意識するようになったよな」
「え、そ、そう?」
「付き合い始めてからは最初はともかく、しばらくしたらかなり慣れてきたと思ってたが……」
「……慣れてきた……?」

 思い当たる節が無く、が眉を顰める。の表情を見て、レオナも同じように眉を寄せた。

「覚えてねーのか? ……一時はこんな風に近付いても、へらへら笑って喜んでただろう」

 言いながら、レオナがの首筋に鼻を埋める。は声にならない悲鳴を上げて離れようとしたが、レオナの腕がそれを阻た。

 レオナがわずかに顔を上げる。しかしその近さは、の頬が帯びる熱気でさえ伝わってしまいそうなほどの距離であることに変わりはない。

「ねぇ、ち、近いわ……」
「念のため確認するが、お前――『約束』の話は覚えてるか?」
「……二年後の話のこと? それならちゃんと覚えてるわ」

 レオナからの質問に、が首肯する。レオナとは、『恋人』になってから改めてある『約束』を交わした。

 その『約束』とは、がレオナと『恋人』として二年間過ごした後、その先の彼との未来について進むか否かを決める、というものである。

 何故二年間なのかと尋ねてみれば、レオナは「が成人するからだ」と答えた。が成人した後もレオナと共に生きる道を選ぶのであれば、レオナは二人の関係を公的なものにするとも宣言した。

 『約束』とは、未来へと繋がる縁である。一度果たしてしまった『約束』をもう一度レオナから持ちかけてくれたということは、レオナもまたとの未来を望んでくれているのだと、は舞い上がるほどに嬉しかった。

 それなのに、忘れてしまうはずが無い。

「それなら良いが……そういえば、コレも最近してなかったな」
「え、レオナさ――」

 が言葉を失くして、固まった。

 再びの首筋へと顔を埋めたレオナが、頬や鼻筋、顎の下までもをの肌へと擦り付けている。

「……………………」
「期間が空くと付けた匂いも結構薄れるモンなんだな――おい、どうした」

 黙り込んでしまったに気が付いたレオナが、不審げにの顔をのぞき込む。は目を見開いたまま、完全に硬直していた。その顔は真っ赤に染まっている。

 レオナはため息を吐くと、から少しだけ体を離した。呼吸すら忘れている様子のの頭を、目を覚まさせるように軽く小突く。

「終わったから、とりあえず息をしろ」
「…………ッは!」

 はるか遠くへと飛ばしていた思考を取り戻したが、まだ頬を色付かせながら身をのけ反らせる。

「いいい今の、何!?」
「マーキングだ。獣人属が身内や恋人に自身の匂いを付ける。前にもやってただろう」
「え、そ、そう? 覚えてない、けど……」

 先ほどから、レオナとの話はやけに嚙み合わない。

 またしても首をひねるに、呆れていたレオナの視線が真剣味を帯びたものへと変わる。

「……最近何か変わったことは無かったか?」
「えぇ……? 特には思い当たらないけど……」
「些細なことでも良い。思い出せ」
「んー…………あ」

 記憶を掘り起こしていたが、ポンと手を打った。

「この前ね、初めてプリマモーレの花が咲いたのよ!」
「…………プリマモーレの花ァ?」

 の返答は予想外だったのか、レオナが拍子抜けだとばかりにがくりと肩を落とす。些細なことでも良いと言ったではないか。はむっとしながらも、その『変化』――というよりも、プリマモーレという種の花について説明し始める。

「あの花はね、年に何回か花を咲かせるんだけど、開花するまで花の色がわからないのよ。それなのに花が閉じちゃうのが早くて、数時間で閉じちゃうの。私たくさん写真撮っておいたのよ! そういえば、レオナさんにも写真見せようと思ってまだ見せてなかったわ。えぇと……」

 懐から取り出した端末の画面に、つい先日保存した花の写真を表示させレオナへと差し出す。画面には、淡いピンク色の花が一つの房に集まって咲いている姿が映っている。

 にこにこと満面の笑みを浮かべるをじっと見下ろした後、レオナは小さく息を吐いての頭を撫でる。

「良い花だな」
「えへへ。今度咲いたらレオナさんも呼ぶから、見に来てね!」
「時間が取れたらな」

 上機嫌なにつられてか、レオナの口元もわずかに綻ぶ。

「思い当たる変化はそれだけか?」
「うーん……そうね……新しく咲いた花は最近だとこのプリマモーレくらいだし……」
「わかった、この件はとりあえず置いておく。それで、さっきの続きは?」
「続き?」

 きょとりと目を瞬かせたを、レオナが「何か聞きたいことがあるんだろ」と呆れを滲ませた声で促した。そうだ、話が逸れてしまったが、聞きたいことがあったのだった。

「そうだったわ。あのね、レオナさんと私とのことって、どこまでの人にどのくらい伝えて大丈夫?」

 が確認しておきたかったのは、の口から話してしまっても支障の無い範囲と、その相手についてだ。

「ハンスとラギーにはすでに伝えてあるし、ニナの奴も知ってる。他の連中は……まぁ、すでに各々察してはいるだろうが、あまりはっきりと伝えるのは避けるべきだろうな」
「そっか……わかったわ。じゃあ、その三人以外の人たちは自然に気付いたってことか。皆すごいのね」
「それはまぁ………………いや、何でもねェ」
「え、何! 言いかけて止めないでよ、きゃっ」

 はレオナの側へ詰め寄った勢いでバランスを崩し、レオナの腕の中へと倒れ込む。

 を難なく受け止めたレオナは、慌てて起き上がろうとしたの背中に腕を回す。どうやら、を離すつもりは無いようだ。ニヤリと揶揄うような笑みを浮かべたレオナに、強い力で抱き締められる。

「自分から抱き締められに来るとは、ずいぶん積極的だなァ?」
「ッち、ちが、ちょっと、これはさすがに、誰かに見られたらまずいんじゃ……!!」
「気にせず好きなだけ堪能しろよ。今は誰もいないから」
「うぅ……」

 は抵抗することを諦めると、大人しくレオナの胸に頭を預けた。よりも体温の高いレオナの胸から、とくりとくりと鼓動の音が聞こえてくる。そのリズムは極めて穏やかで、自分ばかりが取り乱していることを思い知らされたの口から「レオナさんはドキドキしてない……」とつい不満が溢れてしまった。

「誰かさんがこっちの分の動揺までかっ攫って慌てふためいてくれるからな」
「むぅ……どうしたらレオナさんもドキドキするの?」
「さぁな」

 全身を包む温かさと、規則的に繰り返す穏やかな鼓動の音。それに合わせたリズムで、の背を優しく叩き始めた手のひら。

 激しく音を立て騒いでいたの鼓動も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。は手持ち無沙汰になっていた手を、そろりとレオナの背中へと回してみた。そのまま、きゅ、と腕に力を込めてみる。

 子どもをあやすようにへ触れていた手が、不意にピタリと止まった。不思議に思ったが、もぞもぞと顔を動かしてレオナを見上げる。気のせいだろうか。一定のリズムを刻んでいたレオナの鼓動が、わずかに乱れたような――

「レオナさん?」
「……いや」
「あ、もしかして誰か来た? 離れた方が――」
「違う。気にしなくて良いから……じっとしてろ」
「わ、わかったわ……?」

 不思議に思いながらも、は大人しく体から力を抜いた。

「……獣人属の人たちって、察しが良いだけじゃなくて気配にも敏いのよね。他の皆も、レオナさんが来たらすぐに気が付くし。私だけよ、レオナさんが来ても、足音とか何か聞かないとわからないの」

 が「少し悔しいわ」と唇を尖らせる。人並みの身体能力しか持ち得ないが獣人属の彼らに勝とうと思ったところで、土台無理な話である。そもそも競うようなことでも無いのだが――頭では理解していても、やはりレオナに関することは誰よりも早く気付きたいと思ってしまうのだ。

 頭の上の方から、微かにレオナが笑う気配を感じた。

「さすがにここから中庭全体の気配を把握しきれてるわけじゃねーぞ」
「え、じゃあ何で誰もいないってわかるの?」

 二人のいる温室は、中庭の奥の方にある。獣人属の能力をもってしても、中庭の入り口までの広い範囲を窺い知ることは難しいらしい。

「んなモン、俺がいる間は気配探知の魔法をこの辺りに張ってるからに決まってるだろう。ここの様子を見られそうな範囲はカバーしてるから、誰かが踏み入ればすぐわかる」
「……そんな大それた魔法、そんな簡単に使える人はいないわよ……」

 そもそも、狭い範囲ですら展開し維持することが難しい魔法なのだ。そんなものを日常生活の中で使おうと思い付くなど、よほど普段から魔法に触れ慣れているものか、技量に長けた、かつ魔力量の多い魔法士ぐらいだろう。つくづく、レオナは優秀なのだと思い知らされる。

 レオナの手が、の髪を弄び始めた。その様子を横目で気にしながら、は先ほどレオナが挙げた人物の名前と顔を思い浮かべる。

 ハンスはレオナが拠点でしているこの離宮内で、使用人たちを統括する執事長だ。さらにはレオナの執務の補佐役も担っているほど、優秀な人物である。なお、が試用雇用の期間中はレオナの直下で指示を仰いでいたが、正式に雇用された現在は一応ハンスの指揮系統下に所属していることになっている。

 一応――というのも、日々の業務時間や内容に関する報告相手はハンスではあるものの、中庭の植物や設備に関する決定権はレオナにあるため今もまだレオナと打ち合わせたり稟議を上げたりすることも多いためである。

 そしてニナはハンスの部下でもあり、侍女長でもある。レオナの身の回りの世話もし、彼女がしているそうだ。もまれに話すことはあるが、ほとんど接点はない。

 考え込み始めてしまったに、レオナは「誰かに何か言われたか?」と首を傾げた。は首を横に振り、否定する。

「直接言われたというより……こう……色々と確かめたそうな空気を感じるというか。でも、頑張って誤魔化してみるわ。あまり広まらない方が良いんだものね」
「まぁ、知る人物は少ないに超したことはないな。離宮内に限って言えば、今さらだが……」

 少しの間何かを考えたレオナが、口を開く。

「あの侍女たちか?」
「フィーネさんとマキナさんのこと?」
「良く話してるだろ」

 知っていたのか。は先ほども一緒に話したフィーネと、さらにもう一人、懇意にしている侍女がいる。ニナの娘でもある、侍女のマキナだ。彼女は真面目な性格で、フィーネほどのことを揶揄ってはこない。それでも、多少なりともやレオナの関係について気になっている気配を感じる。フィーネに聞いたところ、マキナも恋愛の話題が大好きらしい。

「あの二人もレオナさんの言う『察してる』組よ。今のところそこまでグイグイ聞いてはこないけど……しょっちゅう生温い視線は向けられるわ」
「ニナが釘を刺してるだろうから、さすがに分別は弁えてるか。まさか、離宮以外の奴らか?」
「…………」

 そうとも言えるし、レオナの予想しているような相手ではない気もする。は正直に答えても良いものか、迷っていた。何せその人物は、レオナからしてみれば複雑な心境にある相手だからだ。

 しかし、やはり下手に誤魔化そうとするよりも、正直に伝えておいた方が良いだろう。

 はそろりとレオナを覗いながら、話し始めた。