明日の恋を咲かせて

Chapter.1

明日の恋を咲かせてⅠ

1-6

※ぼかしてますが、引き続き体の関係についての話題が出てきます。

 突然現れたレオナに、は驚きのあまりパニックになったようだった。あろうことか、ラギーの後ろに回り込んできたのである。隠れようとでもしているのかもしれない。

 背中にぴたりと張り付いてきたに、ラギーは今すぐこの場から退散したくなった。レオナはの様子——おそらくはが縋った相手であるラギーを見て、眉をひそめている。

 気配を殺していたということは、どうせを驚かせて揶揄ってやる気だったのだろう。結果的にレオナの企みは成功したが、が自分以外の男に縋る姿を見せつけられることとなり大層不満そうである。

 しかしこれも全てはレオナの子どもじみた悪戯の結果だ。ある意味自業自得とも言えよう。だからそんな嫉妬をむき出しにした目で見てくるのは勘弁してほしかった。

 は自分が『子ども』であることをとても気にしているようだが、この男もが言うほど『大人』な面ばかりではない。現に、惚れた女の気を引くためにやることがエレメンタリースクールの子どもがやるようなそれでしかなかった。

「びびび、ビックリさせないでちょうだいッ」
「普通に声かけただけだろーが。おい、いつまでくっついてんだ」
「今絶対足音しなかったもの! わざとこっそり近付いてきたでしょう! ラギーさんもそう思うわよね!?」
「さー、どうですかねぇ」

 頼むから、俺を巻き込まんでほしい。

 きゃんきゃんと吠えながら背後霊よろしく離れる様子の無いに、ラギーは遠い目をしながら答えた。目の前でこちらを見下ろしてくるレオナの表情はどんどん不機嫌になっていっている。

「……おい、いい加減——」
「あーっと、俺仕事抜けてきたんだった! それじゃ、レオナさん、また後で報告書上げに行きますんで!!」
「え、ちょっと待って、ラギーさん!」

 これ以上巻き込まれるのはごめんだと強引にその場を去ろうとしたラギーだったが、ラギーの腕に抱き着いてきたによって引き留められた。ラギーはガチリと固まる。よりにもよって、恋人レオナの目の前で何をしでかすのだ、この少女は。

「……………………」
「……………………」
「え、なぁに、この空気」

 黙り込んだレオナとラギーに、原因を生み出した張本人であるが戸惑いを顕にする。

 あ、これはヤバい。

 徐々にレオナを中心とした範囲の体感気温が下がり始める。

 ラギーは咄嗟にの腕を振り払いかけたが、その勢いでが転んでしまってはさらにまずい事態になる。どうすることもできなくなり、ラギーは途方に暮れた。

 に声をかけてきたときよりもはるかに低くなった声で、レオナがラギーの名前を呼ぶ。

「ラギー」
「ハイ」
「残ってる仕事は何だ」

 尋ねながら、の首根っこを掴んだレオナがべり、とを強引に引き剥がした。喉にものを詰まらせたときのようなうめき声が聞こえたが、レオナとラギーは何ごとも無かったかのように会話を続ける。

「この前遺跡で発掘した古文書の解析ッスね」
「今日仕上げの予定だったな」
「あとはまとめるだけッスよ」
「それなら一時間もかからんだろう。少しの間そこにいろ」
「え、何で俺が——」
閉めない扉・・・・・の代わりになれ」

 だから、何故自分なのだ。断りたかったが、の縋るような視線に気が付き、渋々その場に留まってやることにした。仕方がない。お礼は弾んでもらうことにしよう。

 ラギーを扉代わりに仕立て向かい合ったレオナとだったが、不機嫌極まりない様子のレオナにはすっかり萎縮してしまっているようだ。チラチラとレオナを窺いながら、居心地が悪そうに手を擦り合わせている。

「で、二人で何話してたんだ」
「……言わなきゃダメ?」
「……俺には言えないようなことか」

 心なしか、レオナの尻尾がだらりと力無く垂れた気がする。きっとからは見えていない。耳もじゃっかん伏せ気味だが、に気取られまいと普段の角度でなんとか踏んばっているようにも見える。

 ラギーはこみ上げそうになる笑いを必死に飲み下した。ここでラギーが吹き出してしまえば、おそらくレオナの機嫌はさらに悪化することだろう。

「言えない、ことはない、けど」

 がちらりと目線だけでラギーを窺ってくる。当然、をまっすぐ見下ろしているレオナからもの様子は丸見えだ。勘弁してくれ。ラギーは二人からそっと目をそらし、気が付かなかった振りをした。自分はあくまで扉だ。あとは二人で勝手にやってもらいたい。

「レオナさん、やっぱり怒ってる……?」
「怒る? 何にだ」
「その……今日中庭で、キス……できなかったこと」
「……あぁ、アレか。何だ、相談でもしてたのか。ラギー相手に?」

 レオナが横目でラギーを見やりながら、小馬鹿にするように笑った。その目線は「お前が恋愛相談に乗れるタマか」とでも言いたげである。この野郎。ちゃっかり人を利用しておいて。ラギーの目が据わっていく。

「アレはまだ慣れてないから驚いただけだろ」
「そう、だと思う……けど」
「急かす気は無いから安心しろ。少しずつ慣れていけば良い」
「……レオナさんは、それで良いの?」
「お前はお前のペースで進めていけば良い。ほら、そんなしょげた顔してるくらいなら、いつもみたいにへらへら笑ってみせろよ。そっちの方がいくらかマシだ」
「マシって……恋人に向ける言葉じゃないわ」

 が唇を尖らせる。レオナが喉を鳴らして笑った。どことなく、この場を包む空気が和らいだ気がする。

 伸ばされたレオナの手が、の頭を力強く撫でる。レオナの手の動きに合わせて頭を左右に揺らすはまだ何かを言いたげな表情をしている。しかし、しばらくレオナを見つめた後に「わかったわ」とぎこちないながらも笑みを浮かべた。それを見て、レオナも口元をわずかに綻ばせる。

 どうやら話はまとまったようだ。変な方向に拗れてしまう前に話せて良かったのだろうが、ラギーはの様子が少々気にかかった。

 レオナがの意思を全面的に尊重しようとする心意気は、同じ男としては理解できなくもない。しかし何よりもレオナのことを想い、レオナのためになることをしたいと望んで生きているのことだ。そのレオナ本人が自身の欲望を抑えつけた上での一方的な譲歩というものをただ享受するだけの関係を素直に受け入れられるとは思えなかった。

 恋人としての関係を築き始めたばかりの二人にはまだ影響は少ないかもしれないが、片方に傾きすぎた関係はいつか綻びの元となりかねない。ただでさえ、レオナとは一回り以上も年が離れているのだ。男女の価値観の差以前に、二人の天秤はすでに大きく偏っている。

 ……ま、そこまでお節介焼く義理も無いッスけど。

 肩をすくめたラギーは、がしきりにラギーの方を気にし始めたことに気が付く。

 ラギーはおや、と瞬いた。の手元を見てみれば、細い指先がレオナの方へと伸びかけては戻って、という不審な動きを繰り返しているではないか。

 小さく息を吐いてから、ラギーはくるりと二人とは反対の方向へ体を向けた。

 ラギーの背後から微かに衣擦れの音が聞こえてきたのと同時に、レオナが息を飲む気配を感じる。

「っそ、それじゃ、おやすみなさい!」

 上ずった声で言い残し、がパタパタと軽やかな足音を立てながら去っていった。

 振り向けば、呆けた顔でレオナが頬を手で押さえている。ラギーの視線に気が付いたレオナが無言で居住まいを正した。それだけでも、ラギーにはがレオナに何をしたのかおおよその見当はついた。

 どうやら、がさっそく少しだけ頑張ってみたらしい。

 ニヤリと口角を上げ、ラギーがレオナに声をかける。

「良かったッスねぇ」
「……馬に蹴られたい趣味でもあんのか」

 揶揄う気を隠そうともしないラギーに、レオナが顔を歪めた。

「それにしても、意外だな」

 の背が見えなくなってから少しして、レオナがラギーに話しかけた。

「お前が恋愛相談に乗ってやるようなお優しい奴だったとはな。今回は何に釣られた?」
「街のドーナッツ屋の新商品ッスね。期間限定なんて言われちゃあね。自分では買いに行けなさそうだったんで」

 ラギーは明日には半日分の休暇をもらう予定だったが、それが終わってからはまたしても休暇どころか自室に戻って寝られる保証すらない激務の日々が続く見込みだった。

「人増やしてくださいよー。つーか、無茶振りしてくんのいい加減止めてほしいッス」
「……ハンスが探してる。もうしばらく耐えろ」
「そう言って何ヶ月経つんスか。皆そろそろ限界ッスよ。もういっそ、研究員も公募しません?」
「それは諦めろ。王宮内部の情報も出入りする部署だから、不可能だ」
「ですよねぇ……」

 王宮の研究室に雇われるためには、相応の経歴とコネが必要になる。加えて、レオナやハンスが信頼に足る人物だと判断できる者以外はどれほど優秀であろうと選考で落とされてしまうため、新しい研究員がやってくることなど、極々稀だ。

 まだとうぶんは睡眠不足確定ッスねぇ。

 ラギーはため息を吐いた。心のうちの不満が雇用主に伝わるよう、それはもう盛大に。しかし、当のレオナが気にしている様子は無い。

「……意外と言えば、俺としてもかなり意外でしたけどね。まさかまだ手ぇ出してなかったとは。それどころか、キスもまだとか」
「したことが無いわけではない。一番最初のときに済ませてる」
「え、初日ッスか。それはさすがに……」
「だから次はここまで待ったんだろうが」
「あぁ、まぁ、でもそれで駄目だったわけか……それは……ご愁傷さまッス」

 の様子からはまるでまだ一度も済ませたことが無いように思えたが、違ったらしい。しかし初日とはまた極端だ。としても、心の準備などもできないままのできごとだったのではなかろうか。

「あ、だからか」
「あ?」
「いや、レオナさんがこれだけ待ったってことは、後ろめたかったんかなーって。あの子のことだから初めてだったんでしょうし」
「…………」

 図星か。むっつりと黙り込んでしまったレオナに、ラギーは苦笑いを浮かべた。

「話した感じ、レオナさんから来られると相当弱いみたいですね、あの子」
「……そうだな。あの様子じゃ、もう少し強引に迫れば簡単に流されるだろうな」

 レオナが肩をすくめる。

「だからこそ、アイツに合わせたペースで進めていくつもりだ。お前も、あまり余計なこと吹き込むんじゃねーぞ。さっきのもどうせお前がけしかけたんだろう」
「ずいぶん悩んでたみたいなんで、少ぉしアドバイスしてあげただけッスよ」

 シシッと歯を出して笑えば、レオナが「度が過ぎるようなら、何らかの対処はするからな」と目を眇めた。それは困る。

「……流しちまう気は無いんスか?」

 レオナならば、最初のようにが拒む間もなく後に引けなくなるところまで進めてしまう手も取れるだろう。王族の『お手付き』となれば、は王宮に留まるための確かな理由が手に入る。

 しかし、

「それはアイツの『ここにいたい理由』とはかけ離れ過ぎてる。まだ……関係を公にするまでは、後戻りができる関係でいた方がアイツのためだ」

 レオナの答えからは、を——の気持ちを何よりも大切にしたいというレオナの意思が伝わってきた。

「アイツには、まだ未来がある」
「……未来・・ねぇ」

 レオナの口から発される『未来』という言葉には、単なる『将来』という意味以外のものも込められている気がした。

「それはそれで、あの子の覚悟を無視してるような気もしますけどね」
「何か言ったか」
「いーえ。んじゃ、俺は今度こそ戻りますよ」

 ラギーの声はレオナの聴力であればじゅうぶん聞き取れるであろう大きさだった。あえてとぼけたのだろう。

 の決意がどれほど強固なものであろうとも、決して二人の未来が約束されるわけではない。それこそ、やレオナの意思とは無関係な何か・・を理由に、二人が離れなければならない未来とてじゅうぶんあり得るのだ。

 ラギーがとやかく口を出せる問題ではない。

「……あ、我慢しすぎて爆発、なんて事態は勘弁してくださいよ〜」
「ほざけ。俺がそんなヘマするか」

 だと良いですけど。

 ラギーはひらりと手を振ると、レオナを残しその場を後にした。