十一年分は
伊達じゃない

『花笑みのプローミッサ』Chapter.1後

 目の前に広がる、文字の海。

 アルファベットや数字、果ては記号までもがところ狭しと刻まれた教科書やノートを見つめていると、それらが段々蠢いているかのような錯覚に陥っていく。なんとも不可思議な気分である。

 昼食を済ませた後の時間を利用して次回の期末試験の勉強を始めたまでは良かったものの、どうにも集中できない。は盛大なため息を吐いた。

「おにいさんに会いたい……」

 ため息とともにポロリと口から溢れてしまった言葉に、呆れた口調で「また始まった」と友人からの憂いが返される。

 友人の言葉を聞き流し、は制服のポケットから常日頃持ち歩いているお気に入りの手帳を取り出した。

 可愛らしい春の花々のイラストが描かれた表紙を開けば、一枚の写真が真っ先に視界に飛び込んでくる。それはの『癒やし』であり『やる気の根源』、そして『心の支え』だった。

 は再びため息を吐いた。同じため息でも、先ほどの鬱屈とした感情を吐き出すためのものとは全くの別物だ。今度は、うっとりと思い出に浸るためのため息。

 友人はの様子を見て、眉をひそめると呆れた顔をした。

「いつも眺めてるじゃない。『おにいさん』が載ってた新聞の切り抜きを後生大事に持ち歩いてさぁ」
「写真と実物は違うもの……」

 が唇を尖らせる。そもそも友人の言う切り抜きというのも、遠目に撮られた写真でしかない。写された姿もほんの豆粒程度の大きさであり、記事の内容と併せて見ることでかろうじてその人物が『おにいさん』であるとわかるくらいのものだった。

「うぅ……もっと大きく撮ってよー……」

 嘆くの手元を、友人がひょいと覗き込んで「小さっ」と呟いた。

「まぁでも、写ってる写真があるだけマシなんじゃないの。メディア嫌いで有名なんでしょ? アンタの『王子様』。あ、本物の王子なんだっけ」
「そうよ。夕焼けの草原の第二王子、レオナ・キングスカラー。有名人のはずなのに、お陰で全然写真も手に入らない……」
「ふーん、大変ねぇ」

 友人はおざなりな相槌を返すと、すぐに自身の手元で広げている雑誌に視線を戻してしまった。

「あぁ……ヴィル様、今月のピンナップも美しいわぁ」
「良いなぁ、私もおにいさんの写真が欲しいわ……ちゃんと映ってるやつ……」

 どれだけ願ったところで、が一国の王子と会うことは難しい。ならばせめて、いつでも『おにいさん』を思い出せる写真を心の支えにしたいと願うことくらいは許されたい。

 がレオナと出会ってから、すでに七年もの月日が過ぎた。

 しかしはいまだただの子どもでしかなく、学生の身だ。もちろん、庭師としての第一歩すら踏み出せていない。今はまず、庭師になるという一つ目の目標に向けてスタートラインに立つためにやらなければならないことも、身に付けなければならないことも山積みだった。

「……絶対に最短でおじい様にも認められてみせるんだから!!」

 が勢い良く立ち上がったせいで、椅子がガタンと大きな音を立てた。友人が「ちょっと、急に大きな声出さないでよ」との行動をたしなめる。

「ご、ごめんなさい」

 耳を押さえる友人に謝罪してから、は今度は静かに座り直した。いけないいけない。すぐ熱くなり周りが見えなくなってしまうのは、の欠点の一つでもあった。

「そういえば、進路希望の紙はもう提出したの?」

 制服のスカートを伸ばして居住まいを正すに、友人が話しかける。

「配られた次の日には出したわ」
「えぇ〜、早すぎるわ」
「だって私は悩む必要が無いもの」
「あーあ、NRCが共学だったらなぁ……ヴィル様の母校一択だったのに……」
「でも、あそこは魔法士の素質を認められなくちゃ入学できないんでしょう?」
「まぁね……私の実力じゃどちらにしても絶望的だわね」

 その言葉のとおり、友人はお世辞にも魔法の才能があるとは言えなかった。

 たちの通うミドルスクールでは、選択制で魔法関連の授業も受けられるようになっている。将来的にある程度の魔法を使えるようになっておく必要があるはともかく、友人もと同じ授業を選択したと聞いたときは驚いたものだ。

 友人が憧れているヴィル・シェーンハイトは世界的にも人気のモデルであり、加えて優秀な魔法士の資格も有していることで知られている。友人曰く、魔法の腕を磨くことで少しでも彼に近付きたかったらしい。早々に「私には才能が無いわ」と諦めていたが、その心意気や気持ちはわからないでもなかった。

 何を隠そう、が憧れてやまないレオナもまた、魔法士なのだ。とて、いっときはレオナのように魔法士の資格の取得も目指してみようかと思っていたほどである。とはいえ、も友人同様に魔法の扱いについては不得手であることが発覚したため、身のほどを弁えて必要最低限の魔法の習得に徹することに決めた。

「ヴィル様がNRCに通ってた頃はどこかの王子様と同級生だったって噂も聞いたことあるわよ。アンタの『王子様』もNRCに通ってたのよね。案外二人は同級生だったりして」
「えぇ? でも年齢が違うでしょう。あ、でも――」

 そんな奇跡的な偶然があるものか、とは友人の話す噂を否定しようとしたが、以前レオナについて調べていたときに彼が何度か留年していたという記録を見つけたことを思い出した。

「留年〜? その人、優秀なんじゃなかったの?」
「優秀よ!! 理由はわからないけど、きっと何か事情が……あったのよ……」

 慌ててフォローしようとしたの声が、覇気を失い萎んでいく。
 
 はレオナが留年していたという事実は知っていても、その理由までは知らない。本人に訊ければ確実なのだろうが、会う手段など無いのだから致し方無い。

 がレオナについて知っていることはとても少ない。しかし、幸いにもレオナは第二王子として夕焼けの草原の国内外でも有名な人物であり、経歴などの表面的な情報を集めることは容易かった。

 レオナは王族としての公務の傍ら、資格を活かして国内有数の魔法士としても様々な活動を行っている。写真や映像に写る機会は少ないが、文字だけであれば夕焼けの草原の国内新聞だけでなく全国的なニュースで名前が挙がることも多い。

 また、古代魔法や遺跡の研究者としても名を馳せており、レオナが過去に発表した論文は高い評価を受けている。さらには、先日レオナが発掘に携わった遺跡で歴史的な発見があったらしく近々表彰もされる予定だそうだ。

 はレオナに関する情報やニュースを、自らが使えるありとあらゆる手段を駆使して日々収集に努めている。その成果でもあるスクラップブックを見せながら、は友人にレオナがいかに優秀であるかを熱弁し始めた。

 興奮気味に話すを、友人は慣れた様子で「わかったわかった」と軽くあしらう。その目線は先ほどからずっと手元の雑誌の中で妖艶に微笑むヴィル・シェーンハイトに集中しており、の方へと向けられることはない。

 は友人の態度に不満を込めて唇を尖らせた。しかし『おにいさん』のことを考えているときの自身と今の友人の姿は似たりよったりであるという自覚があったため、諦めてスクラップブックへと視線を落とす。

「話を戻すけど、アンタは確か進学よね。志望校は前に話してたところ?」
「もちろん!」

 は輝石の国に在するハイスクールのうち、国内で唯一魔法薬学科の専門課程を履修できる学園への進学を決めていた。
 
 答えながら、がグッと拳を握り締める。

 第一希望の学園に合格するためには、理系科目で優秀な成績を修めている必要がある。故に、次回の期末試験で結果を出すためには今現在も数学の問題と向き合っているのである。ただし、あまり進んではいない。

「たった一度の出会いで永久就職先まで決めちゃうなんて。その『おにいさん』はよっぽど素敵な人なのね」
「永久就職先って……変な言い方しないでちょうだい。レオナさんが素敵な人だってことはそのとおりだけど」
「だってそのとおりじゃない。アンタのこの先の人生、全部その人に捧げるつもりなんでしょう」

 友人の言葉にパチリと瞬いてから、が微笑んだ。

「……そうね。きっと私は一生、あの人のために生きていくわ」

 進路も、日々の勉強も。

 がこの先の人生の中で選び学んでいく全ては、レオナとの『約束』に繋がっていく。

 そのことがにとっては何よりも幸せで、生きがいだった。

 いつの日か、彼との『約束』を果たせる日を夢見て――



* * *

「ということで、明後日には予定通り業者が入る。準備は明日までに終わらせておけよ」
「わかってるわ。はい、コレ、今日の報告書」

 の差し出した書類を受け取ったレオナが、内容に目を通し始めた。レオナが読み終わるのを待つ間手持ち無沙汰となったは、目を伏せるレオナの顔を執務机越しに眺める。

 目元を縁取る睫毛は長く、優美な曲線を描く。室内の明かりを受けて彫りの深い目鼻立ちが作る影は、彫刻のように整った顔に艶やかさを加えている。

 端的に言って、レオナはイケメンである。

 それこそ、世間を賑わすモデルたちと並んでも遜色の無いほどに。

 ――モデルといえば、学生時代から付き合いのある友人は今もまだ憧れのモデルの追っかけを続けていたな。

 はふと、昔友人と交わした会話を思い出した。

「ねぇレオナさん。レオナさんはモデルのヴィル・シェーンハイトは知ってる?」
「ヴィルだァ? また唐突だな」

 レオナの反応にはおや、と瞬く。世界的な人気モデルである男を『ヴィル』と呼んだレオナの声音は、どことなく親しみを感じるものだった。

「私の友だちが彼のファンなのよ。昔、レオナさんと同級生なんじゃないか〜って話題になったことがあったんだけど……さすがに違うわよね?」
「あぁ……まぁ、確かに同級生ではあったな」
「え! 本当に!?」

 予想とは異なる回答に、が前のめりになってレオナへ詰め寄った。まさか、本当に同級生だったとは。

「すごいわ、その友だちに教えても良い?」
「別に構わんが……割と知られてる話じゃなかったか」
「噂にはなってたけど、あくまで噂だし」

 はあまり噂というものを鵜呑みにはしないようにしている。実際に会ってみると噂で聞いていた人物像と真逆だった、なんてこともざらにあるため、あくまで自分自身の目と耳で知った事実を大事にしている。その筆頭が、目の前で「そういや、アイツこの前何かの賞取ってたな」と独りごちている男である。

 レオナに関する噂は、基本的に良い内容のものが少ない。

 夕焼けの草原の第二王子は無愛想でとっつきにくく、恐ろしい魔法を使う傍若無人な男。それが、世間に広まっているレオナのイメージだった。レオナが数多くの功績を収めているにもかかわらず、それらは無視され、悪評ばかりが目立ってしまっている。

 はそのことが気に食わなかった。

 確かにレオナは王族らしく人の上に立つ男だが、必要以上に権力を振りかざしたりはしない。保有している魔力量が多く、使用難易度の高い魔法だって使える。しかし力の使いどころは間違えない。

 レオナの悪い噂など、ならいくらでも否定することができる。しかしの言葉を信じてくれるのも、賛同してくれるのも、実際にレオナと関わったことのある者たちだけだ。

 そんなことを考えていたからか、の胸の中が段々むかむかとしてきた。これ以上は、きっと体にもよろしくない。は邪念を振り払うべく、頭を振った。

「お前も好きなのか? ヴィルのこと。そのトモダチみたいに」
「え? うーん、綺麗な人だなぁとは思うけど、追っかけするほどではないわね」

 がレオナをじっと見下ろし、訝しげにを見つめ返すレオナの顔をまじまじと眺める。そのまましばらく考え込み、やがて何事かを納得するように頷いた。

「二人が並んだら、きっとあまりの眩しさに皆耐え切れないわね」
「何の話だ」
「何でもないわ」

 ちょっぴり二人が同級生として並んで話している姿も見てみたい気もするが、美の空気で満たされるその空間に居合わせて正気を保っていられる自信は無かった。

「意外だな。お前、美形は好きだろうに」

 は美しいものが好きだ。

 キラキラと輝く宝石も、堂々と咲き誇る季節の花々も。

 世の中には眺めているだけでを心躍らせるものがたくさんあるし、それはものに限った話ではない。

 テレビで見かけるタレントやモデル。スポーツ選手。まずは顔の造形で惹かれ、詳しく調べたり見ていくうちに好きになっていることも多い。

 しかしそのどれもが、の心の中で一定以上の割合を占めることは無い。

 の心はいつだって、レオナに関することでほとんどが埋まっている。

「私、これでも一途なのよ」

少なくとも、うら若き乙女の青春時代を含んだ十一年という年月を捧げられるほどには、一途なのである。

 レオナは「ふぅん」と興味があるのか無いのか微妙な声音で相槌を打つと、再び手元の報告書に視線を落とした。

「あぁ、そうだ。お前、昨日また作業終わらせるの遅くなってたな。あまり残業はするなと言ってるだろうが」

 レオナからの指摘に、は眉を下げてへらりと笑う。

「えへ、つい夢中になっちゃって……気を付けるわ」
「ったく……ほら、今日はもう片付けも終わったんだろ。寄り道しないでさっさと部屋に戻れよ」
「はーい……もう、学校帰りの子どもに言うみたいに言わないでよ」
「そのつもりで言ってるからな」
「えっ」

 それはそれで、複雑である。

 いくら体が成長したとはいえ、はまだ自分の中に残る幼さを気にしている。早く、誰もが一人前の大人として認めてくれるような人物になりたい。その中には、もちろんレオナも含まれている。

 にもかかわらず、レオナはことあるごとにを子ども扱いしてくるのだ。明らかに冗談で揶揄ってきているだけのときもあるが、本気で子どもを相手にしているときのような話し方をするときもある。

 ……今は、両方だろうか。

 むすくれたに、レオナは喉を鳴らして笑っている。

 今度、フィーネから大人っぽく見える化粧の仕方でも学ぼうか。言動は改めたくても一朝一夕で直せるものでもない。まずは外見から変えてみるのも良いかもしれない。

 次にフィーネと休日が被る日はいつだったか。思い立ち、は胸元のポケットから手帳を取り出す。予定を確認しようと開いたページの隙間から、はらりと一枚の紙が滑り落ちていった。

 の意識は手帳に向けられており、気が付いていない。

 宙を舞いながら、それはやがてレオナの手元へと降り立つ。

「おい、何か落とした……ぞ……」

 目の前に落ちてきたそれを拾ったレオナが、不意に無言になった。

 不思議に思ったがレオナの手元を覗き込み、そこでようやくは自分が落としたものの正体に気が付いた。そして、考えるよりも早くレオナの手からそれを奪い取る。

 どうして、すぐに気が付かなかったのだろう。

 がレオナの目から隠すようにして胸に抱えた紙は、新聞の切り抜きだ。が何年もの間、後生大事に持ち歩いているレオナの写真。

 写真には、今のレオナよりもいくらか若い頃の姿が写っている。

 レオナも、豆粒ほどの大きさのその人物が自身を写したものだとすぐに気が付いたようだ。無言の視線がに突き刺さる。

「…………」
「…………ひ、引いた?」
「……いや……お前らしいといえば、お前らしいな」

 じゃっかん気まずそうに、レオナがから目をそらした。

「良く持ってたな。かなり前のやつだろ、それ。しかも、隅っこに載ってるようなちっぽけな記事」
「ゆ、夕焼けの草原の新聞は、ずっと購読してたから……」

 たとえどれだけ小さな記事であろうと、レオナの名が記された記事は全て切り抜き、保管してある。中でも、数少ない写真付きの記事はの宝物だ。

 が出会ってから今の今までレオナのことを追いかけていることはすでに本人にも知られている。しかしおそらく、がレオナ関連の切り抜きまで大事にしていることまでは知らなかっただろう。

 いくらレオナが有名人とはいえ、もともと彼はメディアへの露出を好んでいない。もしかしたら、不快にさせてしまったかもしれない。

「ご、ごめんなさい……」
「あ? 何で謝んだよ」
「だって……レオナさん、記事にされたりして騒がれるの、あまり好きじゃないでしょう……? それをわざわざ切り抜いて勝手に持ってるなんて、気持ち悪いかな、って……」

 俯いて謝ったを、レオナは少しの間見つめてから口を開いた。

「……まぁ驚きはしたが、立場上記事になるのは避けられないからな。その記事だって、裏ルートで手に入れた曰く付きのモンじゃねーだろ」
「まともな新聞社の記事よ……テリバル遺跡から古代魔法に使用されていた魔法石が発掘されたときの記事」
「あぁ、アレか」

 レオナが「見せてみろ」と手のひらを差し出す。はおずおずとその手に切り抜きを乗せた。

「……小せー写真。こんな豆粒レベルの写真を持ち歩いてたのかよ」

 面白かったのか、レオナがくつりと喉を鳴らした。レオナの反応に、は「笑わないでよ」と唇を尖らせる。

「レオナさんは良くニュースになってたけど、写真も映像も全然無かったからコレくらいしか手に入れられなかったのよ」
「そういや、写真はあまり出回らないように手を回させてたな」
「そうなの!? どおりで、あんなに功績ばかりなのに写真が少ないなと思ったわ……他の人だったら、写真もいっぱい見かけたもの」
「功績を広めるなら、文字がありゃじゅうぶんだろう」

 が「そんなことない」と否定しても、レオナは鼻を鳴らして一笑に付すだけだ。

「そんなに俺の写真が欲しいなら、撮らせてやっても良いぞ」
「……………………え?」

 聞き間違いだろうか。たっぷりの間を空けてから、思わず聞き返してしまった。

「……み、見返りは……?」
「あー? そうだな、お前が出せるようなものだと……妖精関連の情報とかか」
「妖精の?」

 案の定、対価は必要らしい。

 こてりと首を傾げたに、レオナは「たとえば、妖精の生態。観察記録。あとは……等価交換とするなら、妖精の写真でも良いぞ」といくつか『見返り』の例を挙げていった。

 はうーん、と頭を悩ませる。妖精についての情報は、あまり他言しないようにと祖父から言い付けられている。特に、はついポロリと口にしてしまうことが多いから、相手とときと場所をしっかり考えて話しなさい、と念を押されてもいた。

 レオナならの話した情報を悪用することは無いはずだ。しかし、今この場で決めてしまうのは難しい。かといって一度持ち帰ってしまえばレオナの気が変わり、もう撮らせてくれないかもしれない。

「わ、私の写真じゃ駄目?」

 は駄目元で尋ねてみる。

「お前、自分の写真に王族の写真と同等の価値があると思うのか?」
「さすがに思わないわ……」

 そこまでおこがましくは無いつもりだ。

「うーん……妖精の情報と写真、渡したら何に使うの?」
「論文の発表で使う。一般公開はされないから、学者どもの会合で見られるだけだ」
「それなら、まぁ……でもやっぱり、あの子本人にも確認してみないと決められないわ」

 確認するといっても、たちとは違う種族である妖精が写真という概念を知っているかは疑わしい。仮とはいえと契約してくれている程度にはこちらを気に入ってくれている妖精ならば、おそらくが頼めば受け入れてはくれるだろう。

 もし妖精が写真というものを知らないのであれば騙し討ちのようで気は進まないが、礼としてが魔力を差し出せば彼女はじゅうぶん満足してくれるはずである。

「コレはそのうち仕事として依頼する気でいたからな。別に写真の対価としてじゃなくても良い」
「え、そうなの?」
「言葉が通じない分、小さい妖精に関する情報は特に希少だからな。内容によっては俺の写真くらいじゃ釣り合わないだろう。今じゃなくても良いから、考えておけ」
「わ、わかったわ」
「じゃあ、さっさと済ませろ」
「え、何を?」

 立ち上がっての元へと歩いてきたレオナの動きを目で追いながら、がまたしても首をひねる。

「写真、撮るんだろうが」
「えっ、だって対価……」
「後払いで良い。それとも、要らないか?」
「要る!!」

 レオナは貸し一つだ、と口角を上げてニヤリと笑った。

 ははやる心を落ち着かせながら、携帯端末を取り出す。焦るあまり一瞬落としてしまいそうになって、レオナに呆れられた。

「レオナさん、せっかくだから笑ってよ」
「それは諦めろ。さっさと撮れ」
「えー……」

 端末の画面越しに映るレオナの顔は、無表情であってもとても綺麗だ。しかし、やはり物足りない。せっかくレオナ自ら恵んでくれたチャンスなのだ。一生の宝物にできるような、最高の一枚を撮ってみたい。

 諦めきれずに、何かレオナに笑ってもらえるような方法は無いかと思考を巡らせたは、腰に下げる小さなポーチの存在を思い出した。正確には、ポーチの中に入っているある品物について、思い出したのである。

「おい、撮るなら早く――」

 焦れ始めた様子のレオナの目の前に、はポーチから目的のものを取り出して突き出す。

「……何だ?」
「ふっふっふ……追加交渉よ、レオナさん!」

 レオナは眉をひそめてが差し出したものを受け取った。

 それは、細いガラス瓶の中に花をオイル漬けにして閉じ込めた、ハーバリウムだ。

 ハーバリウムは、もともとは研究用の標本として長期保存しておくために考案されたものが、インテリアとしても一般的に作られるようになったものらしい。

 そして、レオナが興味津々といった様子で観察し始めたハーバリウムは、ただのハーバリウムではない。

 が好む淡い色の春の花をいくつか選び、魔法の練習と実験を兼ねて作ってみたもの。この世にたった一つしかない、と妖精の合作だ。

「妖精と私で育てた花を使って、さらに形状記憶の魔法やら何やらまでかけてある特別製よ!」

 が、自慢げに鼻を鳴らす。

「レオナさんなら、この価値もわかるでしょう?」
「…………」
「ふふふ、私、レオナさんが根っからの研究者気質だってことはもう把握済みなのよ。こんな希少品を無視することなんて――」
「少しこっちに来い」
「へ?」
「ん」

 レオナがを手招きする。は疑問符を浮かべながらも素直にレオナの方へと近付いた。

 レオナが、無言での頭に向かって手を伸ばす。もしや、撫でてくれるつもりだろうか。は自身でも素晴らしい一品に仕上げられたと思っていたので、きっとレオナも褒めてくれるのだと内心期待を込めて頭を差し出した。

 途端、頭頂部に鋭い刺激が走る。

「っ痛い痛い痛い! え、刺さってる! レオナさん、頭に何か刺さってる!!」
「そこまで強くしてねーだろ。大げさだ」
「だって何かすごいグリグリしてるッ、いたた」

 レオナが人差し指をの頭のてっぺん――つむじの辺りに押し付け、グリグリと上から圧をかけてきていた。

 指先一つで、何という威力だ。は痛みのあまり涙目になりながらレオナの腕を掴んで止めさせようともがくが、まるでびくともしない。

 この痛みは、拳骨を食らった方がいくらかマシなのではなかろうか。

 しばらくしてから、ようやくレオナは指を離してくれた。

「な、何なの……?」

 がうっすらと目尻に涙を浮かべながらレオナを見上げると、レオナはむすりと大層不愉快そうな顔をしていた。何やら、気に入らないことがあるようだ。

「……コレはこんなこと・・・・・のために使うような代物じゃねーだろ。自ら価値を下げるようなことをすんじゃねぇ」

 レオナがにハーバリウムを突き返してくる。

「こ、こんなことって……私は――」

 なりに、が望むものに対して見合う価値を持つものを考えたのだ。しかしレオナからしてみると、の差し出した対価は対価としては認められないものだったらしい。

「お前、妖精の加護を受ける人間が、どれだけ存在するか知ってるだろう」
「……世界で、数百人くらい……って聞いてるわ」
「そうだ。全世界の人口に対して、その人数だ。妖精と人間の魔力が合わさって作られたなら、コレはそんな奴らにしか作れない。中でも植物の妖精に限定するなら、下手すりゃお前か、あとはお前の親族くらいしかいないだろう」
「そ、そう……かしら?」

 植物の妖精の加護を受ける一族の存在は、たちを除き聞いたことは無かった。全国を探し回ればあるいは見つけられるかもしれないが、レオナでさえも知らないというのであれば、ほぼいないということだろう。

「わかったな。使いどころを見誤るな」
「……作ろうと思えばいくらでも作れるのに」

 つい反論してしまったを、レオナがじろりと睨み付ける。

「拳骨とさっきの、どっちが良い?」
「わ、わかったわ! ホイホイ人にはあげないから!」

 は咄嗟に頭頂部を手で覆い隠した。先ほどの痛みをまたしても味わうのはごめんである。

「で、でも、初めてレオナさんのちゃんとした写真が手に入るチャンスなのよ……せっかくだから、最高の一枚にしたいわ……」

 頭を押さえながらなおも諦めきれないに、レオナが呆れた顔でため息を吐いた。

「何だってそんなに笑ってる写真が良いんだ」

 そんなもの、決まっている。

「…………きだから、よ」

 は顔を伏せて、小さな声で呟く。

 しかし、聴力に優れているはずのレオナにも届かなかったらしい。

「あ? 聞こえねーよ」

 レオナが眉をひそめ、へ顔を寄せてくる。

 は湧いてくる羞恥を振り払うように勢い良く顔を上げると、顔を真っ赤に染めながら叫ぶようにして答えた。

「ッ好きだから! レオナさんの笑ってる顔が、一番好きなのっ!! だから写真でも、笑ってるやつが良かったのッ」

 の言葉に、レオナが目を瞠った。

 二人の間に、沈黙が落ちる。

 沈黙に耐え兼ね、はむすりと唇を尖らせた。の頬は、まだほんのりと淡い桃色に色付いている。

「な、何か言ってよ……本人に面と向かって言うのは照れくさいのよ……」
「……あぁ……いや、お前、やっぱり物好きだな」
「え、今のって、引かれるところ?」

 何故かの視線から逃れるようにして自らの顔を手で覆い隠したレオナの反応に、はショックを受けた。笑顔が好きだと伝えて、引かれてしまうとは思わなかった。

 しょんぼりと肩を落として俯いただったが、レオナの「仕方ねーな」という言葉にぱっと顔を上げる。

「いきなり笑えなんざ言われても笑えねーから、コレで我慢しろ」

 言いながら、レオナは左手で呆けるの右手をそっと持ち上げる。

 何をするのだろうか。が動向を見守っていると、腰を屈めたレオナは持ち上げたの手の甲に口元を寄せ――

 そっと口付けた。

 の脳裏に、十一年前の光景がフラッシュバックする。

 幼いの目と心にレオナ・キングスカラーという男の姿を焼き付けた、あの瞬間。

 の手の恭しく口付けた後、レオナはあのときのように。

 とても美しく、微笑んでみせた。

「おい、呆けてないで撮れよ。口が引きつる」
「…………ぁっ、ま、待って、今……」

 促され我に返ったが、慌てて携帯端末を構え直してシャッターを押す。

 パシャリと音が響いて。

 画面の中の「保存しますか?」というメッセージの下に表示された「イエス」のボタンを、が震える指先でタップする。

 レオナの手はの手をそっと元の位置に戻してから、するりと離れていった。

 は端末の保存フォルダを開き、写真がブレていないか、ピンぼけしていないかを確かめる。

「撮れたか?」
「…………と、撮れた…………」

 即座にロックをかけて、まかり間違っても削除されないように写真データを保護する。

 小さな枠の中に収められた、レオナの顔。
 
 豆粒みたいな横顔ではない。真正面からの、だけに向けられた微笑み。

 じわりと、熱いものが眦にこみ上げてくる。

「何で泣きそうなんだよ。さっきのお仕置き、そんなに痛かったか」
「ち、違う! いや、確かに痛かったけどっ、じゃなくて、嬉しい、の」

 は慌てて首を振った。

「ずっと……遠くからしか、写真でしか見れなかったレオナさんが目の前にいて、私、ちゃんと『約束』、果たせたんだな……って、実感して」
「……まだ果たし終わってねーだろ。中庭、ちゃんと完成させろよ」
「わかってるわよぅ……」

 ず、と鼻を啜る音が室内に響く。

「ねぇ、レオナさん」

 呼びかけたに、レオナがわずかに首を傾げる。

「やっぱりコレ、レオナさんにあげるわ」

 先ほど返されてしまったハーバリウムを、もう一度レオナへ差し出す。レオナがそれを受け取る前に、レオナの眉間には深い皺が刻まれた。

「だから、それは――」
「私にとっては、どんなに綺麗な宝石よりも価値のあるものをもらったの。自分がそれに見合うと思えるものを返したいの……返させて、レオナさん」

 レオナの言葉を遮り伝えたの本音を、レオナはまっすぐを見つめながら受け止める。

 数秒ほどの間を置いてから、レオナはの手からハーバリウムを抜き取った。

「…………今回だけだぞ」
「ふふ、ありがとう、レオナさん」

 が満足したように、頬を綻ばせる。

「その写真、横流しするなよ」
「しないわよ。厳重に保管しておくから、安心して!」
「ところで、それも現像すんのか?」
「…………そのつもりだったけど……駄目?」
「まぁ……誰にも見せないなら構わん」
「やったぁ」

 頼まれたって誰にも見せたりするものか。

 この美しい微笑みは、だけのものだ。

「コレでいつでもレオナさんと会えるわ」
「何だ、実物が近くにいるのに、写真の方が良いのか」
「……会いたくなったら、いつでも会いに来て良いの?」
「ときと場合による」
「ほらぁ! 良いわ、レオナさんに会えないときはこの写真で癒やしてもらうから!」

 はレオナに「気は済んだろ。もう帰れ」と促され、一言辞すための挨拶を残してから執務室を後にした。

 扉を閉め、そろりと携帯端末に視線を落とす。

 の視線の先では、レオナがとても美しく微笑んでいる。

 ――変わらない、な。

 は眩しいものを見るときのように、目を細めた。

 記憶は薄れゆく。過ぎ去っていく時間の中で、は多くの記憶を置き去りにして年を重ねていった。

 しかしその中で、ただ一つの記憶だけは、色鮮やかなまま、の中に居座り続けていた。

 あの日、あのとき。

 レオナがにくれたもの。

 が『約束』を忘れてしまわぬように。

 が、レオナとの『縁』を失ってしまわぬように。 

 の『未来』を願ってくれたレオナの微笑みは。

 十一年もの時間が流れた今でも、色褪せることなく、の心を捕らえて離さない。きっと、これからも。何年、何十年経とうと、が忘れることは無いだろう。

 が思うほど、レオナにとっては深い意味は無いのかもしれない。それでも確かに、レオナはまた、の願いを叶えようとしてくれた。

 の望みを、想いを無下にすることなく、あのときのように、のために笑ってくれたのだ。

 そのことが、堪らなく嬉しかった。

「えへへぇ……」

 だからどうしたって、だらしなく頬が弛んでしまう。

 は新しく手に入れた宝物をもう一度じっくりと眺めてから、胸元にそっとしまいこんだ。

 誰からも――何からも、奪われてしまわぬように。